その後、長崎の浦上の天主教会のラゲといふ僧侶に出会つたことがあつた。その際、ラゲさんと「きりしとほろ上人伝」の話を交した。ラゲさんは、自分の生国が、クリストフが嘗て居住してゐた土地であるといふ話し等が出たので、一寸因縁をつけて考へたものであつた。
将来どんな作品を出すかといふ事に対しては、恐らく、誰でも確かな答へを与へることは出来ないだらうと思ふ。小説などといふものは、他の事業とは違つて、プログラムを作つて、取りかかる訣にはゆかない。併し、僕は今後、ますます自分の博学ぶりを、或は才人ぶりを充分に発揮して、本格小説、私小説、歴史小説、花柳小説、俳句、詩、和歌等、等と、その外知つてるものを教へてくれれば、なんでもかきたいと思つてゐる。
壺や皿や古画等を愛玩して時間が余れば、昔の文学者や画家の評論も試みたいし、盛んに他の人と論戦もやつて見たいと思つてゐる。
斯くの如く、僕の前途は遙かに渺茫たるものであり、大いに将来有望であるよ。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。
カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だ と、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわから ないという気持ちがするのでした。
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南半球の広い緯度範囲に分布する。主に南極大陸で繁殖するのはコウテイペンギンとアデリーペンギンの2種のみである。ほかに、ジェンツーペンギン・マカロニペンギン・ヒゲペンギンの3種は、南極大陸の中でも比較的温暖な南極半島にも繁殖地があるが、主な繁殖地は南極周辺の島である。他の種類は南アメリカ・アフリカ南部・オーストラリア・ニュージーランド、あるいは南極周辺の島などに繁殖地がある。
最も低緯度にすむのは赤道直下のガラパゴス諸島に分布するガラパゴスペンギンであり、その生息域は赤道を挟みわずかに北半球にはみ出ている。
これらの中低緯度の繁殖地はいずれも、南極海周辺から寒流の流れて来る海域に面している。
陸上ではフリッパーをばたつかせながら歩く姿がよく知られているが、氷上や砂浜などでは腹ばいになって滑る。これをトボガンという[3]。
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僕は鵠沼の東屋の二階にぢつと仰向けに寝ころんでゐた。その又僕の枕もとには妻と伯母とが差向ひに庭の向うの海を見てゐた。僕は目をつぶつたまま、「今に雨がふるぞ」と言つた。妻や伯母はとり合はなかつた。殊に妻は「このお天気に」と言つた。しかし二分とたたないうちに珍らしい大雨になつてしまつた。
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水蒸気を一パイに含んだ梅雨晴れの空から、白い眩しい太陽が、パッと照り落ちて来る朝であった。
ちょうど農繁期で、地方新聞の読者がズンズン減って行くばかりでなく、新聞記事の夏枯れ季節に入りかけた時分なので、私のいる福岡時報は勿論のこと、その他の各社とも何かしら読者を惹き付ける大記事は無いか……洪水は出ないか……炭坑は爆発しないか……どこかに特別記事は転がっていないか……と鵜の目鷹の目になっていた。そんなようなタヨリナイ苛立たしい競争の圧迫を、編輯長と同じ程度に感じていた遊撃記者の私は、ツイこの頃、九大工学部に起ったチョットした事件を物にすべく、福岡市外筥崎町の出外れに在る赤煉瓦の正門を、ブラリブラリと這入りかけていたのであったが、あんまり暑いので、阿弥陀にしていた麦稈帽子を冠り直しながら、何の気もなく背後をふり帰ると、ハッとして立ち止まった。
工学部の正門前は、広い道路を隔てて、二三里の南に在る若杉山の麓まで、一面の水田になっていて、はてしもなく漲り輝く濁水の中に、田植笠が数限りなく散らばっている。その田の中の畦道を、眼の前の道路から一町ばかり向うの鉄道線路まで、パラソルを片手に捧げて、危なっかしい足取りで渡って行く一人の盛装の女がいる。
そのパラソルは一口に云えば空色であるが、よく見ると群青と、淡紅色の、ステキに派手なダンダラ模様であった。小倉縮らしいハッキリした縞柄の下から、肉付きのいい手足と、薄赤いものを透きとおらして、左手にビーズ入りのキラキラ光るバッグを提げて、白足袋に、表付きの中歯の下駄を穿いていたが、霖雨でぬかるむ青草まじりの畦道を、綱渡りをするように、ユラユラと踊りながら急いで行くと、オールバックの下から見える、白い首すじと手足とが、逆光線を反射しながら、しなやかに伸びたり縮んだりする。その都度に、華やかな洋傘の尖端が、大きい、小さい円や弧を、空に描いて行くのであった。
俳句と云ものを始て見たのは十五六歳の時であつたと思ふ。父と東京へ出て来て向嶋に住んでゐる所へ、母や弟妹が津和野の家を引き払つて這入り込んで来た。 その時蔵書丈は売らずに持つて来たが、歌の本では、橘守部の「心の種」、流布本の「古今集」、詩の本では「唐詩選」があつた。俳諧の本は、誰やらが蕉門の 句を集めた類題の零本で、秋冬の部丈があつた。表紙も何もなくなつてゐて、初の一枚には立秋の句があつたのを記憶してゐる。さう云ふ本を好奇心から読み出 した。丁度進文学社と云ふ学校で独逸語を学んでゐた片手間であつた。其頃向嶋で交際してゐた友達は、伊藤孫一といふ漢学好きの少年一人であつたので、詩が 一番好きであつた。尤も国にゐた時七絶を並べて見る稽古をしたこともあつたのである。唐詩選の中の多くの詩は諳んじてゐた。歌は、「心の種」に初心の人の 歌だと云つて、
ふじの山おなじ姿に見ゆるかな
かなたおもてもこなたおもても
とか云ふのがあつて、奈何に有りの儘が好いと云つても、これでは歌にならないと云つてあつた。それを可笑しいと思つたのを記憶してゐる。